信州に来たー

信州で暮らすと決めたのが2016年。それから1年後流れるようなタイミングでどんどん進み、深く考えずに来てしまった…はてどんな暮らしに…

コロナ禍で気づいたこと

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大町で一番先に咲く須沼の一本桜です。大町のもっとも南のほうです。
やっと大町も桜の季節になってきましたが、コロナ禍で桜のワクワク感も少ない感じですね。


私の日常は、全く変わりないのですが、今、都会で自粛をされている方たちの生活を、ここ2年私はしているんだな~と痛感(痛感?という感じ)してしまい…いろいろ気づいてしまいました。

この2年半
・・・仕事は業務委託のリモートワーク、午前中は散歩(ほぼ誰もいない)、買い物は混雑前の早い時間にささっと…という日々・・・
※私の業種は、このコロナ禍でも仕事があって助かっています。



ここへ来る前は、毎日いろんな人と関わって、あちこちに移動して、仕事の受注に喜んで、とても忙しくて…ということがステータスのように思っていた…あ~そんな時期あったな~(笑)
実際そのような生活をしていて、充実していたと思いきや、思い込んでいただけだった気がする…実はそれが消耗していた原因だったのだな~と。


私は人と会うのがそれほど好きじゃなかったのか!ということ…
混雑する場所はかなりなストレスなこと…
ひとりでの行動が寂しくない事…
実はひとりで籠ったりするのがぜんぜん苦ではなく、オタク的な資質があるんだ(うすうす感じてた)ということがはっきりとわかってしまいました。



ひとりが寂しくない件は、この2年自分でもよくわからず??いつかは”寂しい~~”となるのだろうかと思っていたのですが、もうこういう人なんだなと実感です(笑)



信州へ来てからの不思議は、
以前距離的には近かった人たちとは会う機会が少なかったのに、距離が遠くなってからのほうが連絡を取り合ったり遊びに来てくれたりと実際の距離ではなく気持ちの距離が近くなったという不思議に驚いたりもしています。


たまに連絡したり会えたりするのはとても楽しいですし、今の状況のように関東からは遊びに来れなくなっても、それはそれで日々の生活で十分なんです。




とは言っても…です!それは世界が安定しているからであって。

コロナの不安によるストレスは2月中旬のクルーズ船のころ、え~対策こんなんなの~?~で血圧上がりました。

自分にとっての感染対策は最初からしてましたが(手荒れが…)都会の抑え込み対策が遅かったり、他国の対応を知ったり、私のようなシロウトでももうパンデミックだろうと思うのにWHOがなかなか宣言出さない…などなど…こんな山奥からイライラしすぎて…もう2か月…

フリーランスをフリーターと混同している行政もあるようで…フリーランスに「雇われる仕事を見つけろ」とか分けわかんないこと言われるらしく、色んなことが可視化されてますね。

リスクの中第一線で働く医療従事者やライフラインを支える方たちの命を守ること最優先で、休業余儀なくされている方々への補償など迅速にしてほしいと心から願っています。

遊びをせんとや生まれけむ…梁塵秘抄

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気づけば年を越し、立春を過ぎていました…
写真は初日の出を浴びたアルプスです。

今年は3回目の冬を経験していますが、身体にこたえる寒さがほとんどなく、雪もなく、楽なのですが…

雪かきもあまりできないので、ちょっとの雪が降っても、すぐ飛び出しガリガリ雪かきしてしまいます。
私、雪かき好きだったのか(笑)

今年に入って、なぜだか毎日、興味がコロコロ変わり、ネット検索やら、図書館通いやら、色々知りたい病に侵されて、なんだか脳がパンクです。

大町の歴史から、長野の歴史、縄文やら果ては地球の成り立ちまで…
歴史は勝者が書き換えるとはいえ、真実が知りたいな~なので都市伝説みたいなものまで読んでみるとホントに何が真実かわからなくなってちょっとお疲れ気味です。

今年の大河ドラマ明智光秀。以前「本能寺の変 431年目の真実」
chikichiki0304.hatenablog.com
を読んでから、きっと真実は通説とは違うんだろうなと思っていて、大河の脚本はこれからどうなるのか楽しみです。



歴史といえば、大町には静御前の伝説があります。伝説なので史実ではないようですが、全国的にありますものね。義経も。
近くの牛立山薬師寺静御前のお墓といわれる場所があります。

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奥州にいる義経を慕って追いかけた旅の途中、奥州と美麻の「大塩」と聞き間違えてここまでたどり着きましたが力尽きてしまったというものです。
美麻には「静の桜」といって静がついていた杖が根付いたという樹齢800年のイヌザクラもあります。
借馬には磯の禅尼(静の母)のお墓もあります。などなど他にも諸々あって本当に立ち寄ったんじゃないかと思わされます。

で、今は平安時代(笑)コロコロ…


もし清盛が源氏を根絶やしにしていたら、どうなっていたんだろう…

分かり合えない人々

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松崎和紙 行灯

塩の道ウォーキングで松崎和紙の工房へ行ってからずっと欲しかった手すき和紙の行灯。やわらかな灯りになんともよい気分に…癒されています…

とうとう師走も中旬をすぎてしまいました。
塩の道についても、紅葉の霊松寺についてもたくさん書くことあったのに…
2019年の総括とかしますかね。どうかな、しないかも…

ここ数か月、心穏やかで行灯のようなほんわかさで暮らしています。今まわりにサイコ風味の人がいないからでしょう。
とはいっても、サイコさんたちに何かあると(というか周りの人が迷惑を被ることですが)各方面から連絡がくるので、問題は聞き及んでいます。

どう頑張っても分かり合えないんです。ほんと~~に。

サイコさんらが、ひどく相手を傷つけるような事を言ったり、嘘を言ったり、誰かを陥れるような行動をしても”平気そう”にみえるのは平常心なんです。
よく、サイコパスの情報で「あいつを貶めてやる…イッヒッヒ…」などと陰で不敵な笑みをうかべているような絵があったりしますが、あれ違うと思うんです。
そんなことこれっぽっちも思っていない。私たちが「今日お天気だね~」なんていう会話と同じ、普通なんです。
その言動や行動は、彼らには当たり前のことなので、傷つけているとも思わないし、たぶん嘘ついてるとかも思ってないんだと思います。

なので、おどおどしながら嘘をつくわけではないので、知らない人は信じてしまうでしょう。というか、彼らにはその嘘が真実なのかも??

う~んだから訳が分からず…
そんなの理解できない私たちと、「それがなんでおかしいの?」というサイコさんらとの間には分かり合えない深すぎる溝があるんです。



地雷もたくさんあって、どこに潜んでいるかわからないのでうっかり踏んでしまうと激怒!!!
ひえ~なぜそこで怒る???そこですか?みたいにビックリするのでその後の対応が難しい…

また最近の話では、だれかが踏んだ地雷、ショックで泣き出したそうで…え~そこ悲しいんですか?しかもSNSで拡散…って…

地雷を踏んだ人が、自分はもっと辛辣なこと言われ続けているのだけどな~と。そうだよね、不可解でまわりもよくわかんないまま。

「人間話し合えば分かり合える」って私には難しすぎます…
分かり合えない人は必ずいる!と断言できるくらいです。

そんな人がそばにいても、「あ~そういう人なんだよね」と思える人はいいけど、謎のストレスを感じる、または謎の違和感を感じ始めたとしたら離れることが得策です。


あ、なんか急に思い出した、高校時代ものすごく嘘がうまくて魅力的な女友達がいて、やたらと私に懐いていたの思い出しました。あの子もか~~~
私やっぱりサイコパスが寄ってくる人間だったんでしょうね。(あえて過去形にします)今思うとその時も使われてたな、色々やっかいな問題を頼まれてたな~


私みたいな、使いやすい…というか、簡単に言う事をきく…というか、むしろ言わなくても色々やってくれる…というか…(どんなアホですかという感じですね)
そういう人間だと、見極めるのはたぶん会ってすぐでしょう。寄ってくる人は会ってからそんなに時間がたってないですから。その嗅覚がするどく、そして呪縛をかける…(本人はそんなつもりまったくないんですけどね)


でも今は私は物理的に離れることによって、呪縛から解き放たれたので…
先日、回りまわって、ある人から、「○○さん(サイコパスの知人)があなたに○○(ボランティア的なこと)やってもらいたいって言ってたよ」と言われましたが、もう無理はしないと心に決めていたので直接連絡きたら断ろうと思っていたら、連絡もなく次のターゲットの人がやっていました。そこは察知するんだろうな、さすがだなと思いました。


私の今は嘘みたいに心が平坦です。
以前が辛くてしんどくて…という事ではないのが不思議ですが、その時期はそれ(呪縛)が当たり前で、少しストレスかな…くらいの感覚でした。今考えるとおそろしいです。以前に戻ったら、今はしんどくて耐えられないですね。


長野にきて2年…ほぼ毎日同じような暮らしを続けていて、とりとめのない日々なのになぜか楽しいんです。何もないのに時々なんかうれしいな~という気分になれるのです。ひとりでバカみたいですが、幸せって、自由ってこういうものかもしれないって思っています。

仁科神明宮のスサノオ

仁科神明宮の式年遷宮に立ち会ってから、益々この土地に興味がわいてきて…
この地の歴史だけでなく、古代日本の成り立ちにさえも心奪われています。

縄文人はどこからきたのか…を調べると

大陸から?海洋から?とか、遺伝子的にはキルギス人?やバイカル湖の近くのブリアート人?とか世界にも縄文人の足跡があったりとかで、もう~ただでさえ謎だらけの日本の始まりが…おそろしく大きな謎になってしまって、ちょっと頭の中が混乱中です(笑)




なので、最初は日本の神話から…ということで古事記
最近は、すごくわかりやすい&おもしろ過ぎる中田敦彦のYoutube大学をエクストリームで見てから、古事記関連色々とググったりしています。

天の岩戸や因幡の白兎などは漠然と知ってはいたものの、しっかりと読んだ事ないな~と思っていたら敗戦以降、封印されていたからだと知って、なるほど~と思ったり、それって残念なことと思ったり、教育ってほんと重要だなと痛感しました。

それにしてもイザナギイザナミから天孫降臨までのストーリーを知ると、なんだかありえないような話だけど、おもしろい!!あっちゃんの話し方がおもしろいのか…(笑)


ところで、仁科神明宮の成り立ちを先に書いておかないと…
皇大神宮御領であった仁科御厨(みくりや)の地に勧請(かんじょう)されたお社」(※仁科神明宮公式HPより)ということですが、最初なんのこっちゃ??でした。
つまり、この地は伊勢神宮の荘園(領地)で御厨(神の台所)だったので勧請(神仏を分霊し遷して祀った)されたということらしいです。
なので、ここには伊勢神宮と同じ「天照大御神」が祀ってあるのです。
いつから?は明らかではないですが、後冷泉天皇の永承時代(1046-1053)に信濃に御厨が…という記事がみられたそうなのでその頃か…??
そのあと1193年頃に、仁科御厨にかぎり「往古(大昔)建立」という記事があるそうなので、そんな昔に大昔からある…といわれていたそうなのでどんだけ~~?という感じです。



この式年遷宮ですが、記録が残されているのは、1376年からのようです。その後20年毎に必ず行われていて毎回棟札という式年造営などの内容を記したものがあるそうです。
なんと建替えは1636年が最後で以降、財政困難から改修のみだったそうです。財政困難のおかげ??で300年以上も前の神明造が残り、日本最古として国宝になったそうです。歴史って何が功を奏するかわかりません(笑)
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式年遷宮にあたり「太々神楽(「だいだいかぐら)」も奉納されるということで見に行ってきました。
「岩戸神楽」(アマテラスの天の岩戸隠れからでてくるまでのお話)はさすが多くの人が知っているのか混んでて良い位置でみれませんでした。
次の「水継」で正面から見ることができました。
何百年もこの伝統を引き継いで下さって、現在も見られることになんか感激しました。そしてこの笛や太鼓、鈴の音がなんか懐かしい、癒される感覚は不思議でした。

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アマテラスがなぜ岩戸隠れをしたのかは、古事記の内容でいうと、弟のスサノオがあまりにも暴れ者でそれに業を煮やしたアマテラスが岩の中に隠れてしまった…という話なのですが…

境内にはたくさんの神様が祀られています。だいたいは下の写真(後ろ)と同じくらいの大きさのお社なのですが…
すごくちっちゃい平べったいほうが、なぜかスサノオなのです!!
なんということでしょう。
イザナギから生まれた三貴子(アマテラス・ツクヨミスサノオ)のおひとりなのに~でも暴れもん過ぎたからでしょうか~~
なんかかわいそうなので、2回もおまいりしてしまいました。今後必ず寄ると思います(笑)

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国宝 仁科神明宮 式年遷宮

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昨夜、深夜零時から執り行われた「本殿遷座祭」地域の皆様とお見守りさせていただきました。
昨年5月に仮宮にお遷りいただいていたご神体を、補修を行った本殿にお遷しする儀式です。暗闇の中です。


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20年に一度なので、この目でその儀式を拝み、その場に立ち会えるチャンスは今回だけ…次はないかな?と思い、いそいそと出かけていきました。
大町市のほうで信濃大町に駅からシャトルバスを出して送迎してくださっていたので安心してたっぷり着込んでいきました。

普段のお宮は、質素でなんともいえない荘厳な雰囲気はあるのですが、この期間はお祭りなので華やかでありかつ厳粛な空気もありました。
よい経験をさせていただきました。

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今年は、令和に元号が変わり、最近では天皇陛下の「即位の礼」の儀式も拝見して、遠く平安の時代に思いをはせたり、古事記などの神話にも興味がでてきたりという時期だったので、この行事は更に感慨深いものになりました。

なぜか縄文…

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国宝 左「仮面の女神」右「縄文のビーナス

なぜか縄文ということで…この夏、近場から諏訪のほうまで遺跡やら考古館など巡ってきました。
なんといっても国宝に…会えた~~


夏休みとはいえ、どこもあまり混んでなくゆっくり鑑賞できました。

縄文時代って、1万年以上も同じ生活を続け、人を殺すための武器などは発掘されてないって感慨深いものがあります。
どんな生活だったんだろうとか、どんな心で生きていたんだろうとか、「謎」すぎて惹かれるんでしょうか。
文字はなくとも土器や土偶を作ってくれていて…なんかありがとうって感じです。


いとこが来た時に、「翡翠のふるさと」糸魚川に連れてってもらいました。糸魚川翡翠フォッサマグナの置き土産として質や量が圧倒的にすばらしいらしいのです。

この長者ヶ原遺跡で縄文時代に、ひすいの加工がされていたんではないかといわれ、ここで加工された翡翠が、北海道から沖縄まで、各地で確認されているらしいのです。

この時代にどんな方法で運んだんだろう?とか、何のために運んだんだろう?とか、謎は深まります…


なぜか縄文に惹かれるという人が増えているらしいのです。現代のこの物があふれている時代に、縄文のシンプルさをどこか思い出すのか…

縄文の頃のDNA、誰にでも引き継がれているわけだから、ふとした時に、人とのつながりや自然とのつながりが深かったあの時を懐かしむんじゃないのかと…

諸説あるらしいのですが、縄文時代は命を生かしあう、人と人が互いに活かしあう時代だったようです。ならば戦争は起きないですね。

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尖石縄文考古館 土器



与助尾根遺跡

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与助尾根遺跡


井戸尻遺跡

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井戸尻遺跡



長野県安曇郡松川村はおとなりの村。

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松川村 桜沢遺跡



地元大町のわっぱら遺跡は、自転車で行ってきました。

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上原(わっぱら)遺跡 長野県大町市

ストーンサークル発見当時の写真は大町市資料館にありました。

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発見当時の写真


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長者ヶ原考古館 新潟県糸魚川

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フォッサマグナミュージアム 翡翠

戸隠で受け取ったもの…

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6月の初めに、戸隠行ってきました。

はじめてでしたが、一瞬にして気持ちの良い場所だと感じました。

戸隠神社の奥社まで、参道は2kmもあって登りだったのですが、その空気が「神」過ぎて…樹齢何百年という杉林に見守られながら疲れることなく辿り着けます。

奥社をお参りしたあと、おみくじなど終ぞ引いたことがないのですが、なにかを導いていただきたく…おみくじいただいてきました。

おみくじ「平(たいら)」
その中で…
「いひぶん爭い事は十ぶん利をもちてかつ事なし…」
解読→けんか口論は、十分の利を得てしても勝つ事はない。

やっぱり…最近の一連の理不尽な状況や出来事、悔しい思いを抱えても、闘わなくて吉だったんです。

吉や凶などがなじみのおみくじですが、「平」ってはじめてでした。その時意味がわからなかったのですが、”今のままでいいよ”と言われている気がしていて…
あとで調べてみたら、あながち間違った解釈ではなかったようです。


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戸隠ではもうひとつ竹細工をみたくて、かの有名な井上竹細工店へ行くことができました。そしてなんと、竹のコーヒードリッパーをゲットすることができました!手づくり1点もので予約は受けてないので、たまたまあれば購入できるというものです。井上さんのお人柄もすばらしく、長い時間お話してしまいました。


天岩戸の神話が伝わるこの地は圧倒的なパワーに満ち溢れていました。ここで受け取ったもの、しっかりと体に刻み込みました。

5月の連休の塩の道まつりから、ヒスイの謎やら、神話などから、今、縄文にはまりつつあります…1万年もの間、戦争の痕跡が見つかっていないという時代にものすごく興味を惹かれています。