分かり合えない人々
塩の道ウォーキングで松崎和紙の工房へ行ってからずっと欲しかった手すき和紙の行灯。やわらかな灯りになんともよい気分に…癒されています…
とうとう師走も中旬をすぎてしまいました。
塩の道についても、紅葉の霊松寺についてもたくさん書くことあったのに…
2019年の総括とかしますかね。どうかな、しないかも…
ここ数か月、心穏やかで行灯のようなほんわかさで暮らしています。今まわりにサイコ風味の人がいないからでしょう。
とはいっても、サイコさんたちに何かあると(というか周りの人が迷惑を被ることですが)各方面から連絡がくるので、問題は聞き及んでいます。
どう頑張っても分かり合えないんです。ほんと~~に。
サイコさんらが、ひどく相手を傷つけるような事を言ったり、嘘を言ったり、誰かを陥れるような行動をしても”平気そう”にみえるのは平常心なんです。
よく、サイコパスの情報で「あいつを貶めてやる…イッヒッヒ…」などと陰で不敵な笑みをうかべているような絵があったりしますが、あれ違うと思うんです。
そんなことこれっぽっちも思っていない。私たちが「今日お天気だね~」なんていう会話と同じ、普通なんです。
その言動や行動は、彼らには当たり前のことなので、傷つけているとも思わないし、たぶん嘘ついてるとかも思ってないんだと思います。
なので、おどおどしながら嘘をつくわけではないので、知らない人は信じてしまうでしょう。というか、彼らにはその嘘が真実なのかも??
う~んだから訳が分からず…
そんなの理解できない私たちと、「それがなんでおかしいの?」というサイコさんらとの間には分かり合えない深すぎる溝があるんです。
地雷もたくさんあって、どこに潜んでいるかわからないのでうっかり踏んでしまうと激怒!!!
ひえ~なぜそこで怒る???そこですか?みたいにビックリするのでその後の対応が難しい…
また最近の話では、だれかが踏んだ地雷、ショックで泣き出したそうで…え~そこ悲しいんですか?しかもSNSで拡散…って…
地雷を踏んだ人が、自分はもっと辛辣なこと言われ続けているのだけどな~と。そうだよね、不可解でまわりもよくわかんないまま。
「人間話し合えば分かり合える」って私には難しすぎます…
分かり合えない人は必ずいる!と断言できるくらいです。
そんな人がそばにいても、「あ~そういう人なんだよね」と思える人はいいけど、謎のストレスを感じる、または謎の違和感を感じ始めたとしたら離れることが得策です。
あ、なんか急に思い出した、高校時代ものすごく嘘がうまくて魅力的な女友達がいて、やたらと私に懐いていたの思い出しました。あの子もか~~~
私やっぱりサイコパスが寄ってくる人間だったんでしょうね。(あえて過去形にします)今思うとその時も使われてたな、色々やっかいな問題を頼まれてたな~
私みたいな、使いやすい…というか、簡単に言う事をきく…というか、むしろ言わなくても色々やってくれる…というか…(どんなアホですかという感じですね)
そういう人間だと、見極めるのはたぶん会ってすぐでしょう。寄ってくる人は会ってからそんなに時間がたってないですから。その嗅覚がするどく、そして呪縛をかける…(本人はそんなつもりまったくないんですけどね)
でも今は私は物理的に離れることによって、呪縛から解き放たれたので…
先日、回りまわって、ある人から、「○○さん(サイコパスの知人)があなたに○○(ボランティア的なこと)やってもらいたいって言ってたよ」と言われましたが、もう無理はしないと心に決めていたので直接連絡きたら断ろうと思っていたら、連絡もなく次のターゲットの人がやっていました。そこは察知するんだろうな、さすがだなと思いました。
私の今は嘘みたいに心が平坦です。
以前が辛くてしんどくて…という事ではないのが不思議ですが、その時期はそれ(呪縛)が当たり前で、少しストレスかな…くらいの感覚でした。今考えるとおそろしいです。以前に戻ったら、今はしんどくて耐えられないですね。
長野にきて2年…ほぼ毎日同じような暮らしを続けていて、とりとめのない日々なのになぜか楽しいんです。何もないのに時々なんかうれしいな~という気分になれるのです。ひとりでバカみたいですが、幸せって、自由ってこういうものかもしれないって思っています。