信州に来たー

信州で暮らすと決めたのが2016年。それから1年後流れるようなタイミングでどんどん進み、深く考えずに来てしまった…はてどんな暮らしに…

仁科神明宮のスサノオ

仁科神明宮の式年遷宮に立ち会ってから、益々この土地に興味がわいてきて…
この地の歴史だけでなく、古代日本の成り立ちにさえも心奪われています。

縄文人はどこからきたのか…を調べると

大陸から?海洋から?とか、遺伝子的にはキルギス人?やバイカル湖の近くのブリアート人?とか世界にも縄文人の足跡があったりとかで、もう~ただでさえ謎だらけの日本の始まりが…おそろしく大きな謎になってしまって、ちょっと頭の中が混乱中です(笑)




なので、最初は日本の神話から…ということで古事記
最近は、すごくわかりやすい&おもしろ過ぎる中田敦彦のYoutube大学をエクストリームで見てから、古事記関連色々とググったりしています。

天の岩戸や因幡の白兎などは漠然と知ってはいたものの、しっかりと読んだ事ないな~と思っていたら敗戦以降、封印されていたからだと知って、なるほど~と思ったり、それって残念なことと思ったり、教育ってほんと重要だなと痛感しました。

それにしてもイザナギイザナミから天孫降臨までのストーリーを知ると、なんだかありえないような話だけど、おもしろい!!あっちゃんの話し方がおもしろいのか…(笑)


ところで、仁科神明宮の成り立ちを先に書いておかないと…
皇大神宮御領であった仁科御厨(みくりや)の地に勧請(かんじょう)されたお社」(※仁科神明宮公式HPより)ということですが、最初なんのこっちゃ??でした。
つまり、この地は伊勢神宮の荘園(領地)で御厨(神の台所)だったので勧請(神仏を分霊し遷して祀った)されたということらしいです。
なので、ここには伊勢神宮と同じ「天照大御神」が祀ってあるのです。
いつから?は明らかではないですが、後冷泉天皇の永承時代(1046-1053)に信濃に御厨が…という記事がみられたそうなのでその頃か…??
そのあと1193年頃に、仁科御厨にかぎり「往古(大昔)建立」という記事があるそうなので、そんな昔に大昔からある…といわれていたそうなのでどんだけ~~?という感じです。



この式年遷宮ですが、記録が残されているのは、1376年からのようです。その後20年毎に必ず行われていて毎回棟札という式年造営などの内容を記したものがあるそうです。
なんと建替えは1636年が最後で以降、財政困難から改修のみだったそうです。財政困難のおかげ??で300年以上も前の神明造が残り、日本最古として国宝になったそうです。歴史って何が功を奏するかわかりません(笑)
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式年遷宮にあたり「太々神楽(「だいだいかぐら)」も奉納されるということで見に行ってきました。
「岩戸神楽」(アマテラスの天の岩戸隠れからでてくるまでのお話)はさすが多くの人が知っているのか混んでて良い位置でみれませんでした。
次の「水継」で正面から見ることができました。
何百年もこの伝統を引き継いで下さって、現在も見られることになんか感激しました。そしてこの笛や太鼓、鈴の音がなんか懐かしい、癒される感覚は不思議でした。

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アマテラスがなぜ岩戸隠れをしたのかは、古事記の内容でいうと、弟のスサノオがあまりにも暴れ者でそれに業を煮やしたアマテラスが岩の中に隠れてしまった…という話なのですが…

境内にはたくさんの神様が祀られています。だいたいは下の写真(後ろ)と同じくらいの大きさのお社なのですが…
すごくちっちゃい平べったいほうが、なぜかスサノオなのです!!
なんということでしょう。
イザナギから生まれた三貴子(アマテラス・ツクヨミスサノオ)のおひとりなのに~でも暴れもん過ぎたからでしょうか~~
なんかかわいそうなので、2回もおまいりしてしまいました。今後必ず寄ると思います(笑)

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